コラム

no.009
年賀状から「個性」が消えた日-私たちの価値とは・・

2015年01月29日 | マーケティング推進部 ゼネラルマネジャー 菅桂次郎

新年のご挨拶にはタイミングを逸してしまいましたが、改めて本年もよろしくお願いいたします。

今年の正月は妻の実家がある滋賀県大津市で過ごした私ですが、年賀状を見た義父の反応に思うところがあったため、新年一発目のコラムとして発信させていただきたいと思う。

タイトルの通り、年賀状から「個性が消えた」ということへの問題提起であるが、ビジネスパーソンとして少し考えさせられる出来事があったため、それを紹介したい。

今年の正月、我が家から届いた年賀状を見て、義父がびっくりしていたのだが、その理由は、小学4年の娘(義父から見れば孫)が手書きで書いた宛先やコメントの字体が想像以上に大人びていたということだったのだ。

私たち夫婦としては、裏面の写真にこそ、成長の跡を感じてもらいたいという思いであった訳だが、写真には目もくれず、住所の筆跡ばかりを見て関心しているではないか(特に「滋賀県」という字に対して)。

確かに最近の年賀状は、PCとプリンターがあれば毛筆の美しい字体で、住所から何から何まできれいに作成できる訳であるが、一方で、文字から見える「その人らしさ」が消滅してしまったのだ。

文字の癖、筆圧など、実は「個性」として自己表現できる魅力的なツールを我々は放棄してしまっている現状に改めて気づかされたわけだ。

そもそもこのメルマガも、誰が書いても同じ字体なのである。もし、このメルマガのコラムを私の直筆で届けることができれば、そこから感じる私という人間像が、皆さんに違った形で伝わるのではないかと思う。

このことは、実は「文字」という個性の消滅だけに留まらず、「標準化」という名のもとに、ビジネスにおけるあらゆる場面でも起きているのではないだろうか。

「誰がやっても一定の品質が出せること」は、経営側の人間にとって追求すべき重要な課題の一つであることに異論はないだろう。一方で、一個人の立場で考えると、「誰がやっても同じ」ということは、「あなたでなくても問題ない」ということと同義と言えるのだ。

私たちは、テクノロジーの進化で様々な利便性を享受できるようになった。その代償として、実は「自分らしさ」という人間としての最も重要なモノを失いつつあることに気づかなければならない。

「あなたに“しか”できない仕事」
「あなたに“だから”任せたい仕事」

全体最適という名の標準化の追求と共に、超個人最適の「個性の追求」を今年一年のテーマにしたいと思った。