コラム

no.014
「我慢」の先にある人間的成長

2015年04月28日 | 取締役 菅桂次郎
  • 苦しいこともあるだろう。
  • 言いたいこともあるだろう。
  • 不満なこともあるだろう。
  • 腹の立つこともあるだろう。
  • 泣きたいこともあるだろう。

これらをじっとこらえてゆくのが、男の修行である。

私の手帳には上記の「山本五十六の名言」が書かれている。何かあったとき、必ず立ち帰る場所。辛い時、この言葉で冷静さを取り戻し、前向きな力に転換できるのだ。

最近、我慢できない子供、我慢できない若者が増えたと言われている。そして何より、我慢できない大人も急増中である。私もしかり。

「我慢」という言葉。捉え方は人によってさまざまであるが、人が成長していく過程において、忘れてはならない大切なことと私は考えている。今回は、この「我慢」について考えてみたい。

「我慢」とは、もともとは仏教の煩悩の一つであり、強い自己意識から起こす慢心のことを指すらしい。一般的には、自分自身を抑制し、また耐えるという意味あいで使われることが多いが、今回は後者の意味で考えてみたい。

「やりたいことができない」という不満を耳にすることが多い。そこが不満となり、日々の仕事に真剣になれず、モチベーションが低下し、最悪の場合は会社を出ていくという決断を下してしまう。実は私自身も20代前半の頃は同じような心理状態であったと思う。

一方で、本当に「やりたいこと」が明確になってくると、「為すべきこと」「やらなければならないこと」も明確かつ具体的になってくる。その目標が高ければ高いほど、挑戦が必要になればなるほど、努力の継続が必要となり、一日一日が我慢の連続となってくるのだ。

「プロ野球選手になりたい」と思えば、当然野球がうまくなるための練習が必要で、その前提には、基礎体力が求められ、為すべき行動は、日々の走り込みなのだ。ただ黙々と走る。毎日走る。この努力がいつかプロ野球選手という大いなる目標に繋がっているのだということを信じて、自分を追い込む。このプロセスは綺麗ごとではなく、自分との闘い。我慢の連続なのだと思う。

しかし悲しいことに、若い時から明確な目標に向かって邁進できる人はほんの一握りなのだと思う。私自身は、目指すべき目標が見つからず、もがき苦しんでいた。ただ、与えられた役割や期待に対峙し、一段ずつ階段を上っていくことで、自分のこだわりが見えたり、仕事のやりがいが見えたりした結果、少しずつ、本当に少しずつ、「向かいたい方向性」が見えてくるものだと思う。これは私自身の実際の経験として明確に言えることなのだ。

2015年度に入社した新入社員たち。現在の社会情勢を考えると、年金受給開始年齢は70歳といったところだろう。逆算すると、大卒者であれば48年間を「働く期間」と捉える必要がある。自分が50歳になったとき、自分が60歳になったとき、自分が70歳になったとき、「もうあの人はね・・・・」と言われる人材になるのか、「ぜひうちに来てくれないか」と周囲から熱望される人材になるのか。

それは、これからの日々の努力の継続(我慢)で決まる。

そう自分に言い聞かせ、自分から逃げず、大いなる人生の目標に向かって、今日も「前向きに我慢」していこう。