コラム

no.018
百聞は一見にしかず、百見は一験にしかず、百験は・・・

2015年08月27日 | 取締役 菅桂次郎

百聞は一見にしかず。

敢えて意味を説明するまでもないとは思うが、『人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかる』という意味の中国の故事である。

人間の真理をついたこの言葉。
私自身の人生においても、ふと何かに迷ったとき、急に思い出したりする言葉でもある。

そしてこの言葉は、教育現場やマネジメントの場においても直視せざるを得ない事実を私に突きつけ、「伝えること」の難しさを痛感するのである。

いくら研修講師が丁寧に伝えても、いくらメンバーに熱弁してみても、「言語」というツールを媒介する以上、物事の100%を伝えることは不可能なのだ。

そこで今回のコラムでは、「百聞は一見にしかず」という言葉から、今後の教育のあり方を考えることにしてみた。

企業における教育研修では、インストラクターや教官と呼ばれる研修講師が講義を行い、世の中にある知識や理論を教えていく(聞く)というスタイルのモノが長い間の主流となって存在していた。(所謂「研修会社」にとっては古き良き時代である)

しかし昨今では、講義(聞く)というスタイルは最小限に削りとられ、イメージしてみて(見て)、実際に取り組んでみる(体験する)という内容へと変化してきており、ITをはじめとする技術革新も相まって、方法論の多様化という面で大きな変革期を迎えているとも言える。

そういった面では、「百見」でも真の学びにはまだまだ遠く、「体験」まで進んでこその学び・成長ということなのだろう。

「百見は一験にしかず」ということか(「験」は「けん」と読むが「ためす」という意味)。

要するに、机上で勉強することも大切だが、現場を「自分自身で見る」ことでその本質が読み取れるようになり、さらに実際に自分がその場に飛び込んで「ためしてみる」ことにより、本当の意味での「学び」が得られるのだと思う。

研修という場において、如何に「験」の域まで動機づけられるか。ここがまさに、人事にそして我々に問われているのである。

ビジネスにおいて、いきなり100%の完成品を創り出すことは現実的には難しい。人とのコミュニケーションやチームへのリーダーシップの発揮でも同様に、「わかっているけど、できない」「やってみたら大失敗した」というのが現実的な我々の悩みだと思う。

だからこそ、何度も試行錯誤(100回の“ためし”)を繰り返しながら、失敗と改善のプロセスを高速で動かしていくことができる人や組織が、これからの社会で生き残っていけるのだろう。

そしてさらに考える。その先には何があるのかと。

「百験の先」にあるもの。
「百験は一●にしかず」

この●が見つかったとき、人や組織の新たな成長の定義が見つかるのかもしれない。