コラム

no.027
電車内で騒ぐ子供を注意しない親。あなたはどう思いますか?

2016年04月26日 | 取締役 菅桂次郎

私たちは、社会という「システム」の中で生きている。そこには、法令や規則という誰もが順守すべき明確なルールが存在する一方で、道徳的な暗黙のルールも「守ることが当たり前」のものとして私は育てられてきた。言い換えれば、私が私自身の中に持つ「常識」として。

しかし世の中は、多様化という名のもとに多くの価値観が存在する。上述の“暗黙のルール”も、世代が変わり、国籍も変われば「常識」は「常識ではなくなる」。頭ではわかっている。が、やはりどうもしっくりこない自分もいる。

そこで皆さんに改めて問うてみたい。「電車内で大騒ぎしている子供を注意しない親」を見たときに、あなたは何を感じ、どんなことを考えますか?と。

私は13年前のとある研修の一セッションで、この問いを投げられた過去がある。自分自身が子供を持つ前ではあったが、その際の私の答えは以下のような内容だったと記憶している。

「親が子供を躾けるのは当たり前。注意どころか私なら引っぱたいてでも他人に迷惑をかけないようにおとなしくさせる!」

子供を持つ親の立場になった今現在も、基本的にこの考えは変わらない。このコラムを読んでいただいている皆さんも、それぞれの価値観で、何かを感じ、自分ならこう考えるというご意見があるのだと思う。もしかしたら、大多数が私と同じような意見を持っているかもしれない。

鼻息荒くしている当時の私に対し、その後に講師がこんな話をしだした。「では、あなたが見えている景色を、少し変えてみましょう」

「今あなたに見えている家族は、病院に向かうところです。息子たち(5歳と3歳)を連れて、先ほど交通事故で急死した母親(妻)に会うために搬送された病院に向かうために電車に乗ったところです。子供たちはこの残酷な事実を知りません。平日にお父さんが幼稚園に急遽迎えに来てくれ、電車に乗ってどこかへ連れていってくれるということで子供たちは大はしゃぎしています。お父さんは、息子たちにこの事実を伝えられず、最愛の妻を亡くしたことのショックで、頭が真っ白になり、ただただ座ることしかできない状態です。」

私は絶句した。というか混乱した。そんなことを後付けで言われても困るし、そもそもそのような情報は第三者の私には絶対に知ることができない情報だからだ。

その後、深呼吸して少し落ち着いてみて、内省した結果、ただ一つ、この問いで改めて気づかされたことがある。それは、「自分が見えているモノは真実の一部であり、その見え方が変わると、そこから生まれる感情も、対応の選択肢も、すべてが変わりうる」ということだ。これは、自分にとって大きな気づきとなり、その後の人生観に強い影響を与えている。

昨今の世の中は、「ある出来事」に対して、誰もが自由に発信できるようになった。ややもすると、一部の自分が知りえた情報のみから、すべてを分かったつもりになり、自分が正しいと思う価値観で発信するため、容赦のない一方的な攻撃にもなってしまう。

組織で起こることもすべて、そこには無数の背景がある。「結果として自分に見えているコト」は、そのごく一部でしかないのだ。だからこそ、私たちはその背景にある関係性や感情といった、「自分には見えていないコト」の存在を認め、まずはそこに目を向けてみる姿勢(努力)が大切なのかもしれない。

そして人は失敗する。多くの失敗を重ね、周囲に迷惑をかけながら私たちは生きている。目の前に起こる出来事に対し、もう少し寛容に、もう少し心の余裕を持って他者と向き合うことが、よいチーム、よい会社、よい社会へとつながっていくのだと思う。

自分には見えないモノを見る「心の余裕と優しさ」を私は持ちたい。

『人は神ではない。誤りをするというところに人間味がある(山本五十六)』のだから。