コラム

no.037
改めて実感する「情報共有」の難しさ

2017年2月28日 | 取締役 菅桂次郎

最近の私は、「情報共有」という見慣れたはずの言葉に怯えている。この言葉が持つ意味の大切さは痛いほど理解しているつもりであり、自分自身のマネジメントにおいて、重要視してきた領域の一つでもある。と思っていた・・・。

「働き方改革」の取り組みの中でも、テレワークをはじめとする時間と場所に制約されない新たな働き方を模索する企業も増えているはずだ。対面での交流が物理的に困難になるであろうこれからの職場を考えたとき、改めて、この「情報共有」という魔物について考えなおす絶好の機会だと考え今回のコラムのテーマとして取り上げてみたい。

まずはじめに、「情報共有」という如何様にも解釈できる言葉について、今回考える領域を絞りたいと思う。

それは、業務に必要最低限の知識や情報を伝達し合う行為を指すものではなく、ある結論に到達した背景や意図を共有し、認識を揃えることとしよう。換言すれば、情報という「ハードの伝達」ではなく、そこに込めた思いや気持ちといった「ソフトの共有」だ。

ソフトを共有する上での理想形は、関係するメンバー全員を意思決定プロセスに参画させることだと思う。議論のプロセス、各メンバーの発言や表情、チームの雰囲気など、その場で起きたことを肌感覚で共有できていれば、言葉一つとっても、その背景にある意図や思いを脈絡の中で立体的に掴めるはずだ。

しかし現実の世界では、すべての関係者をそのプロセスに参画させることは不可能に近い。どうしても、決定事項を要約されたものが口頭や議事録などの媒介を通して共有されるというプロセスを辿るため、視覚的に捉えた情報やその場に居合わせた人にしか分かりえない雰囲気や熱量といった情報を100%再現することは不可能なのだ。

もっと言えば、巨大企業であれば、会社の方針といった重要情報ですら、報道発表を通じて知ることだってあるだろう。さらには人事の皆様がいままさに格闘中の来期の処遇や異動といった個人にとっての最重要情報も、そこに込めた期待や結論に至ったプロセスを全社員と共有することは現実的に不可能と言える。

結果、言葉や文字という「ハード情報」が記号として伝わるに留まり、その先に期待していた意欲喚起や主体的な行動に繋がらないばかりか、伝わるタイミングといったタイムラグが生じることによって、良かれと思ってとった行動ですら、逆にモチベーション低下といった意図せぬ方向に陥ってしまうことだってある。

「そんなつもりはなかったのに・・・・」

私が現在苦悩しているのが、まさにココである。

正直なところ、苦悩の真っ最中である私にとって、今回取り上げた情報共有の理想形に向けた自分なりの解は導けていないというのが本音だが、一つだけ心掛けたいと思っていることがある。それは、原点に戻る、基本にかえるということだ。

「コミュニケーションの基本は、何を言ったかでなく、どう伝わったか」
口がちぎれるほど使ってきたこのフレーズ。

ラジオと同様に、いくら情報を発信しても、受け手側との周波数が合っていなければ、雑音としてしか認知されない。だからこそ、自分から相手の周波数に関心を持って合わせていくこと、また相手も自分の周波数に関心を持って合わせようとする相互の歩み寄りの行為こそが何よりも重要なのだと思う。

そしてそのためには、信頼関係が欠かせないのだ。

「情報共有」が先ではなく、「信頼関係を構築すること」を先におく。これこそが、良質な情報共有に向けた最善策なのだという境地に至ったと同時に、「信頼関係とは何だ」という新たな難題に直面したことに気づいた私。

次回のコラムは「信頼関係」がテーマになってしまうのか・・・・。