コラム

no.038
チームに所属することの「誇り」がもたらすもの

2017年3月28日 | 取締役 菅桂次郎

薄々感じていらっしゃる方も多いと思うが、私は野球が大好きな人間の一人である。先に行われた野球の世界大会WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で惜しくもサムライジャパンは準決勝でアメリカ代表に負けてしまったが、そこに至るまでの奮闘は、団体競技の素晴らしさを再確認させてくれた。

同時に、ある種の団体競技と言える会社組織でも、同じような一体感溢れる状態をどうすれば創り上げることができるのかを考えてしまう私。これは所謂「職業病」である(苦笑)。

その背景には、日本代表の選手たちに限らず、世界中の選手たちのコメントから共通して感じた「所属するチームへの誇り」があったように思う。

今回のコラムでは、この「チームへの誇り」について考えてみたい。

私の個人的な感覚なのかもしれないが、「チームへの誇り」は、第三者が意図的に作り出せるものではなく、個人とチームメンバーとの関係性や、そこでの経験の積み重ねによって、時間をかけて形成されていくものだと思う。

事実、「チームの勝利のために」という選手たちのコメントから伝わる重みは、壮行試合の時よりも、本戦に進んでからの方が圧倒的なのだ。

会社組織でも同様で、社歴の長いメンバーの方が、チームメンバーと過ごした時間、くぐり抜けてきた経験を数多く共有している分、チームへの思いも強いはずだ。もしかしたら、「誇り」というよりも「愛着」という表現の方が適切かもしれない。共通の目標に向かう過程で直面する障害や苦労、時には対立といった修羅場体験の積み重ねと、そこでの人と人としての関わりの質が、チームへの「誇り」や「愛着」といった感情に繋がっていくのではないだろうか。

いずれにせよ、所属している組織やチームに対する「誇り」や「愛着」はメンバー個々の力をチーム成果に凝集させるうえで非常に重要な要素だと思う。

一方で、ただ惰性で日々を過ごすだけでは、チームへの思いは湧いてはこないことは頭では理解できるが、実ビジネスにおいては、短期決戦のスポーツのように全員が熱狂できるような目標はそう簡単には創り出せない。数万人を超える観客だって「我々の日常」には存在しないのだ。

さらには、雇用形態も働くことに対する価値観も異なる中で、「心を一つにする」ことは容易ではないと痛感している。結局はスポーツの世界の話であって、ビジネスには適用できないものなのだろうか。

ただやはり「あんなチームになれたらいいな」という純粋な思いを捨てたくはないし、ビジネスの世界だからこそ味わえるチームの一体感はきっと存在するはずだ。

「チーム」という人格は、結局のところ一人ひとりの人間の集合体である訳で、その一人ひとりが真剣に向き合い、本音でぶつかりあった先に、信頼関係をベースにした「所属チームへの誇り」が生まれてくるのだと思う。これは、スポーツもビジネスも違いはない。

まずは自分自身が「本気でメンバーと向き合えるかどうか」に尽きるのだろう。

と、ここまで書いて、最終着地がまたもや「信頼関係」になったことに気づき、いよいよ次回のコラムテーマが確定したなと再確認する・・・。

3月末で年度末を迎える企業も多いと思う。そして4月には、新たなメンバーの加入や新体制での始動など、心新たにする季節を迎える。

新旧メンバーが心を一つにし、共通の目的に向かって邁進する最大のチャンスを活かせるかどうかは、我々一人ひとりの思いと行動にかかっている。