コラム

no.043
仕事の中にある光 ~省いてはならない「無駄」とは~

2017年8月31日 | 取締役 菅桂次郎

第99回目となった夏の甲子園。
全国的には早稲田実業の清宮選手の話題に始まった大会であったが、今年の優勝は埼玉県代表の花咲徳栄高校で閉幕した。来年は第100回の記念大会。どのような大会になるのか今から楽しみだ。

一方で、近年は「ブラック企業」ならぬ「ブラック部活」という言葉が出てくるくらい、中学・高校の部活動を取り巻く環境も、私が学生だった昔に比べると大きく変化している。当時は、「水は飲むな」「先輩は絶対」という思想のもと、辛い思いを経験した方も多く存在するのではないだろうか。私自身も「理不尽なコト」に耐え抜いた一人である。

以前は「気合い・根性」で押しつけられていた多くの無駄で理不尽なコトが、効果的な練習方法や器具の開発、モチベーション理論に基づいた監督(教師)の適切な関わり方など、科学的な方法論として確立され、圧倒的な効率をもたらしている。

ビジネスの世界でも、「働き方改革」の実現に向けて、どれだけ効率的に業務を行い、どれだけ生産性を高めるかが各社で議論・実践されている訳だが、「がむしゃらに頑張る」「残業を是として徹夜も辞さない」という思想は、古き良きならぬ、古き悪しき慣習として、今まさに変革のときを迎えている。

しかし、徹底的な効率を追求した先に、我々の眼前に広がる世界は一体どのようなものなのだろうか。

前述の野球においても、「効率」を追求すれば多くの無駄があることに気づく。例えば大会の開催時期。敢えて炎天下の真夏に設定せず、5月頃に実施した方が選手の体調面ではいいはずだ。大学受験までの日数を考えてもその方がいいだろうし、春と夏の大会を一つにしてしまうという発想だってあるだろう。審判も人間である必要はない。誤審や審判の癖で勝敗を左右されることは理不尽極まりない。選手の将来性や健康面を考えれば球数制限も必要だろう。天候に左右される無駄を考えれば、ドーム球場で開催した方がいいという考えもある。

このように、「単純な効率」を追求すれば、まだまだ改善要素はいくらでもあげられるが、はたして、その先にある「ただの野球の全国大会」にどれだけの人が興味を示すだろうか。少なくとも私は興味をなくしてしまう可能性が高い。

「高校野球」と「効率」を掛け合わせて論じるには無理があるのかもしれないが、「一見無駄と思われること」の中に、物事の本質が潜んでいる可能性があるということを我々は忘れてはならないのではないかということだ。高校野球で言えば、「人々を感動させる何か」である。

あくまで私個人の経験に基づく考えではあるが、あらゆる物事に存在する「無駄」は必ずしも悪ではなく、むしろ省いてはならない「無駄」が存在しているような気がしている。

娘が作ってくれる「努力の料理」の方が、レシピ通りで作られる「美味しい料理」よりも断然うまいと感じるのが人間だと思うのだ。

今回、敢えてこのコラムを書いた本音は、「私たちは何かに追われすぎていないか」と最近痛切に感じているからだ。それは時間かもしれないし、成果や結果、利益や株主からの評価かもしれない。社会全体に余裕がないことが一番大きな影響かもしれない。

「働き方改革」が社会的なテーマになっている今だからこそ、「省くべき無駄」と「残すべき価値ある無駄」を見極めることが重要だと改めて感じている。それが自社の強みに繋がっていたり、社員の成長の肝であったり、遣り甲斐や達成感といったモチベーション要素であったりするからだ。

一見すると非効率的に見える無駄を、仕事の中にある「光の部分」に目を向けて、「価値ある無駄」なのかどうかを検証する姿勢を忘れないようにしたいと私は考える。

真夏の炎天下、150球を超える熱投の末に敗れたとしても、その「非効率で無駄な姿」に我々は心を動かされる生き物なのだから。