コラム

no.054
経営人材育成において「社長を育てる」ことはできるのか?

2018年7月26日 | 取締役 菅桂次郎

皆様の企業には、「将来、自分がこの会社の社長になりたい!」という思いをもった社員は、どれくらいいるだろうか。

ここ数年、「経営人材の育成」に関する相談を受ける機会が圧倒的に増えている。「誰に、どのタイミングで、どこまでの場を提供するか」を主要な論点として、早期選抜の是非を含め、「如何にして“将来の社長”を育てるか」に多くの人事の方が頭を悩ませているようだ。

一方で、冒頭の問いである「如何にして“社長になりたい社員”を育むか」という視点は、その違いを含めて論点になることは少ない。

今回のコラムでは、そもそも論となるが、創業社長以外で経営を継いだ人は、「いつから社長を目指したのか」を考察してみることを通じて、「社長そのもの」ではなく「社長になるという覚悟を持った社員」を育むための方向性を考えてみたい。

まずはじめに、新人の頃から「社長になるための教育を施せ」と主張している訳ではないことをご理解いただきたい。また、「社長」というポジションは「何かを実現するための手段」であって、権力や名声といった個人的な欲望を満たすためのものではないことも押さえておきたい。

あくまで私の一つの仮説であるが、社長になった人は、かなり早い段階で、社長を目指していたのではないかということだ。入社直後、場合によっては入社前から、自分がこの会社を通じてより大きな貢献を果たしたいという「曖昧ながらも明確な意思」を抱きつつ、社長というポストへの目標を定め、日々を過ごしてきたのではないだろうか。

そして、この「曖昧ながらも明確な意思」を持って入社してくる社員は、以前に比べても減少しているとは思えず、むしろ世の中への貢献意識は高まっている風すらある。一方で、「社長というポスト」が持つ名声や権威への憧れやある種の野心は以前に比べて圧倒的に減少していると感じている。

それは、「ゆとり」や「さとり」といった若手世代を表す言葉にあるような世代間による意識の変化を含め、組織体の在り方や働き方の変化がもたらしたポストや報酬へのモチベーション要素の変化であり、「そこそこでいい」という志向性の変化でもあると考えられる。

そう考えたとき、「社長になりたい社員を増やす」というテーマを考えるにあたり、「社長を目指す」ことを直接的に論じるのではなく、「社長が持つ志向性を育むこと」こそが重要なのだというのが今回の主張だ。

きっと、社長になった社長たちは、新人の頃から、「自分だったらこうするだろうな」という思いの中で、日々の役割や業務に向き合い、その時にできる最善を尽くすということを愚直に繰り返してきたのだと思う。これは、その思いの根拠や妥当性の問題ではなく、自身の内から湧き出てくる意思の問題だ。

つまり、目の前の業務にどういう思いを乗せて日々を過ごすかの積み重ねが、社長としての資質が身につけられるかどうかに影響してくるのだということだ。

経営的な視座で物事を考える、MBA知識を保有する、業界知識に精通するなど、経営者になるプロセスで獲得すべきモノは数限りなく存在する。ただし、その大前提は、「目の前の仕事に自身の全力を注ぎ込めるか」であり、その姿勢なくして、社長になど絶対になり得ないと私は考える。

部長に“なったら”本気を出す、社長に“なったら”頑張るでは話にならないのだ。

人材育成の最終ゴールでもある経営者育成のポイントは、仕事に誇りを持ち、そこに自分の最大限の力を発揮する社員を育成することに他ならない。

自身の仕事や職務に対し、「心から全力で打ち込む社員」を育むために、何ができるかを考え抜くことが、経営者育成の本質なのかもしれない。